下関の歴史あれこれ 第32回~西日本の宝塚 長府楽園地~

  昭和7年(1932)4月、現在の下関市長府に長府楽園地が開園しました。長府楽園地を創設したのは、下関・長府を中心に電車を運行していた山陽電気軌道株式会社です。同社は、旅客誘致を目的とした行楽事業も展開していました。遊園地経営は、その一環であり、西日本でも類を見ないほど大規模なものでした。

 長府の沖を埋め立てて創設された長府楽園地には、動物園・ローラースケート場・展望台・テニスコート・大浴場・演芸館などがありました。また、園内の乃木博では、郷土出身の乃木希典の生涯が、人形劇や遺品などで紹介されました。長府楽園地は、大いに賑わい、「西日本の宝塚」と称されました。

 さらに、隣接地には、昭和4年(1929)に創設された長府野球場がありました。約8000人を収容した長府野球場では、日米野球も開催されました。長府は、一大行楽地として人々の注目を集めたのです。

 しかし、その後、日本は戦時体制を強化。長府楽園地・長府野球場は、閉鎖されて、跡地に軍需工場が進出しました。脚光を浴びた長府の一大行楽地は、時代の流れのなかでその姿を消すこととなってしまったのです。

長府楽園地絵はがき(下関市立歴史博物館蔵)

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