下関の歴史あれこれ~農夫姿の乃木希典像~

乃木希典は、嘉永2年(1849)に長府藩士乃木希次の子として生まれ、のちに陸軍大将や学習院長を務めた人物です。日露戦争時に開かれたロシア国将軍との会見は、のちに唱歌となって国民の間で口々に歌われ、多くの人々から敬愛されました。

今回紹介するのは、乃木希典の木彫像です。甥の長谷川栄作が制作しました。軍服姿のイメージが強い乃木ですが、ゆったりとした衣服を纏い、左手に鍬を持っています。

明治25年(1892)2月、乃木は上官であった桂太郎と対立して休職。前年に購入した栃木県那須野の別邸で、農事に勤しむようになります。明治31年(1898)と明治34年(1901)にも休職していますが、その度に那須野で「農人」として過ごしました。

乃木は幼い頃に百姓仕事を経験したことから、農業は国の基本であるという考えを持って、熱心に励んだようです。一方、那須野での生活中にも、陸軍における自らの状況や世の中の動きは、常に気にかかっていました。明治34年の休職中には、「世のなかに なすべきことも おほ(多)かるに こんなところで なにを那須のか」と、焦る自らの気持ちを表現した歌も遺しています。乃木にとって自然に触れ、農事に勤しむことは、うまくいかなくなったとき、自らを見つめ直す機会だったのかもしれません。

乃木希典像は、令和4年(2022)3月より、歴史博物館常設展示室にて展示しています。ぜひご覧ください。

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