- コラム
- 公開: 2021/03/12
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下関が発祥?? 明太子の歴史
辛子明太子と言えば、現在は福岡県の博多が有名ですが、下関から始まったと言われているのをご存知ですか?
今回は、明太子の歴史について紹介します。どうぞ最後までご覧ください。
明太子の原点
朝鮮半島では、何百年も遠い昔から鱈の卵巣をニンニクや唐辛子と一緒に塩漬けした、辛子明太子の原型が作られていました。そして月日は流れて1910年、当時日本だった朝鮮半島で会津藩(現在の福島県)の人により、初めて商品化されることとなります。
下関が発祥と言われるワケ
朝鮮半島でキムチ風明太子がメジャーになると、日本にも続々と輸入されるようになりました。その際、下関は朝鮮半島に最も近い港として輸入明太子の窓口となったのです。そして、戦前まで下関を中心に辛子明太子及びタラコが取引されることとなります。この事実が、下関が辛子明太子の発祥と言われる由縁なのです。
戦後の辛子明太子の歩み
戦後の1947年頃、下関の「イリイチ食品」の創始者である髙井英一郎氏が、陸軍時代のツテを使い、いち早く北海道からたらこを仕入れ始めます。そして、多くの人々の努力により、塩漬けしたタラコに唐辛子をふりかけて作る「辛子明太子」が生まれます。これは、博多の有名企業が辛子明太子を開発した時期と同じだそうで、「イリイチ食品」も日本屈指の老舗明太子企業の1つと言えるでしょう。
そして現代へ…
1960年頃、福岡県を中心に、塩漬けしたたらこを唐辛子調味液に入れて二次漬けする現代の辛子明太子が誕生。その後、下関もこの形になじんでいき、私達がよく知る辛子明太子が全国に流通していったのです。
最後に…
今回の辛子明太子の歴史のコラムいかがでしたか? よろしければコメントをいただけると幸いです。
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下関が発祥と言われる理由は、記事にも書いてあるように1910年、当時日本だった朝鮮半島で会津藩(現在の福島県)の人により、初めて明太子の原型が商品化。
朝鮮半島でキムチ風明太子がメジャーになると、日本にも続々と輸入されるようになり、その窓口となったのが下関だったと言われています。
戦前まで下関を中心に辛子明太子及びタラコが取引されることとなったことから、日本においての発祥が下関といわれる由縁です。
今回紹介した「イリイチ食品」さんが辛子明太子を生み出したのが1947年頃。「ふくや」さんが開発した時期と同じだそうです。
この機会に、下関屈指の老舗明太子屋さんの味を楽しんでみませんか?