下関の歴史あれこれ 第35回~長府に築かれた幻の城~

 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦ののち、現在の下関市域の大部分を治める長府藩の初代藩主となった毛利秀元。秀元が自らの居城として長府に築いたのが串崎城です。
 関ヶ原の合戦直後の不安定な政治状況下、毛利領国の西の端に位置する串崎城には、有事における防衛能力が強く求められたと考えられます。
 長8年(1603)頃から築城が開始された串崎城ですが、元和元年(1615)に江戸幕府が発令した「一国一城令」を受けて破却されてしまいました。現在は、石垣や土塁の一部が遺っていますが、短期間しか存在しなかったため、関係資料が少なく、その実像は多くのなぞに包まれています。
 歴史博物館では、7月11日(日)まで企画展「串崎城―長府に築かれた幻の城」を開催しています(5月31日までは休館)。当時の周辺状況や考古遺物、城跡の空撮などさまざまな視点から、串崎城の雄姿に迫ります。また、城下町として発展した江戸時代の長府についても紹介します。

串崎城模型
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