勝山地区に伝わる かっぱ伝説

下関市勝山地区に伝わる「砂子多のかっぱ伝説」。テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」などでも紹介されており、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

今回は、「かっぱ伝説」ゆかりの地をいくつか紹介します。また、勝山地区はかっぱ伝説以外にも、「曲水の宴」の碑、勝山御殿跡、住吉神社といった史跡も多数あります。こちらも併せて巡ってみてはいかがでしょう?

砂子多のかっぱ伝説とは?

むか~しむかし、現在の山口県、勝山の沼にいたずら好きのかっぱが住んでいました。かっぱは畑を荒らしたり、村人に相撲を挑んでは持ち物を巻き上げたりしており、村人たちはたいそう困り果てていました。

そんなある日、勝山の勝谷に住む吾作という百姓が砂子多川で牛に行水をさせていました。するとかっぱが牛の尻にくっついていました。かっぱをこらしめてやろうと考えた吾作は、隙を見て近づき、頭の皿の水をかきだして納屋へ閉じ込めました。

あまりの苦しさに、かっぱは「もう二度と悪いことをしないから助けてください」と頼みました。吾作は「よし、許してやろう、そのかわり田んぼの草を綺麗に取ること」とかっぱに命じ、頭の皿に水を入れてやりました。

かっぱは素晴らしい速さで草を取り始めました。やがて、許しを得たかっぱは、どこからか大きな石を運んできて、吾作に「今まで迷惑をかけてきましたが、この石が土になるまで、かっぱ一族はこの土地から姿を消し、一切いたずらはしません」と言って沼へ帰りました。その後、かっぱの姿を見た者は誰もいなかっとさ。めでたし、めでたし。

砂子多川

かっぱ伝説が残る砂子多川。

かっぱ石

明治37年6月下旬に起きた大洪水により、かっぱ石は流失。現在の石は昭和62年7月26日、子どもたちの夢と健やかな成長、水難防護の祈りをこめて復元されました。毎年、水泳シーズンの前には、子ども会の手によって水難防止祈願祭が石の前で執り行なわれています。

かっぱ公園

秋根上町3丁目にある小さな公園。のんびり遊んだり休憩するにはもってこいの場所ですよ。

かつやまかっぱ夏まつり

「砂子多のかっぱ伝説」を語り継ぐことを目的とした祭り。毎年7月第4日曜に秋根記念公園で開催されています(※2020年は中止)。「かっぱ仮装コンテスト」や「まんが日本昔ばなし『砂子多の河童』」(1978年放送)の上映等が行なわれます。また、関連行事として、祭り当日の14時から「かっぱ石みこし」を担いだ地元の中学生達が勝山地区を練り歩きます。

この他の勝山地区の史跡

住吉神社

日本書紀、神功(じんぐう)皇后の伝説にまつわる神社で、「長門国一の宮」として知られています。大阪の住吉大社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の1つに数えられ、本殿は国宝に指定されています。

勝山御殿跡

幕末の関門海峡において外国船との戦いが何度も起きました。当時の長府藩主・毛利元周公は海岸に近い串崎城が危険なため、1863年(文久3年)に急遽、勝山御殿を起工。ちなみに、7ヶ月で完成させたと言われています。現在も残る石垣や石畳は、御座の間、大書院室、ご寝所など60余りの部屋を持つ御殿があったことを偲ばせるに十分な威容を残しています。

曲水の宴の碑

「曲水の宴」とは奈良・平安時代に朝廷や公家の間で3月3日に行なわれていた年中行事の1つ。川や池のほとりで上流から杯を流し、それを取って酒を飲み、詩や歌をつくる遊びです。1824年(文政7年)3月3日、風流殿様として知られていた長府藩主・毛利元義公は、長州藩主の斉元公を招いて砂子多川のほとりで「曲水の宴」を行なったと伝えられています。この日の有様を元義公の侍講・小田南陔がまとめ、石に刻みました。この碑はその子である小田璋が1840年(天保11年)に藩命を受けて建てたものです。

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